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null だが野上はいぜんとして、美也子が持っていたというグリーンの表紙の書物に拘泥していた。 (いったい、その本はどこへ消えてしまったのか——)という疑問が、あとからあとから波のように寄せてくる。野上はすでに桐山警部たちに知れぬよう、三次駅の遺失物係に問い合わせているが、そのような拾得物があったという情報は、まだない。  もうひとつの疑問は、その書物なるものはどのような類《たぐ》いのものなのか——ということだ。それについても郵便で美也子の母親|宛《あて》に問い合わせを発してあった。ご令嬢が旅行中に所持されていた緑色の表紙の、かなり分厚い書物というのは何だったのでしょうか、という内容のものである。桐山警部に知れないよう同封の返信用封筒には自宅の住所を書き、速達料金の切手を貼《は》っておいたが、返事はかなり遅れ、九月十六日に到着した。その手紙の要点は次のようなものである。  お問い合わせの�書物�については、あれこれ思いめぐらしましたが、まったく思い当たるものがありません。美也子が旅行に出発する際、バッグに詰める物を二人で相談などいたしましたが、なるべく少なくということで、小さなノートを別にすれば書籍類は持参しなかったはずです。もしそういう書物を所持していたことが事実であるなら、おそらく旅の途中で買い求めたものでありましょう。  読み終わって、野上は失望した。かすかな手がかりさえも、シャボン玉のようにはじけて消えた。  三次の事件はそろそろ迷宮入りの噂《うわさ》が囁《ささや》かれはじめ、捜査本部縮小の兆《きざ》しが見えてきた。  捜査主任の桐山は報道陣に対してはっきりと初動捜査の不備をにおわせ始めた。確かに、事件直後、芸備線列車の乗客をチェックしなかったのは致命的なミスであり、捜査の難航はすべてそこに原因があることは否定できない。そしてそれは桐山が着任する前の出来事なのだ。  幸か不幸か、世間の耳目は庄原で発生した新しい殺人事件の方に関心が移っている。幕引きの条件はほぼ整っていると言ってよかった。これ以上手詰まり状態が続けば、桐山はあっさり捜査本部を縮小し、場合によっては解散——一部捜査員による継続捜査、という方針を出すかもしれない。野上はそのことを惧《おそ》れ、焦った。捜査本部が解散されるということはとりもなおさず捜査費の出所が絶たれることを意味する。  野上は勇を鼓して桐山の前に立った。 「一度、東京へ出張させていただきたいのですが」 「東京?……」  桐山は冷たい目で野上を見た。 「何のために」 「はあ、被害者の家族にもう一度だけ事情聴取をやってみたいのです」 「ふうん……」  桐山はしばらく考えてから、存外あっさりと「いいでしょう」と言った。 「どういう思惑があるのか知らないが、それなりに期するところがあるのだろうからね」  どうせ何もあるまいが——という意味をひっくり返しに言ったように野上は感じたが、ともかく許可さえ出ればよしとしなければならない。