收藏

ルイヴィトンタイガ 長財布編集

 今しがたまで相手をしていた三好家の重臣や堺の商人たちの赤ら顔を思い出し、久秀は胸の中で舌打ちをした。  付き合いで盃二、三杯飲んだばかりに、こめかみはずきずきと痛み、体は気だるくて座っているのも大儀《たいぎ》である。  茶室で長々と寝そべっているうちに、いつの間にか浅い眠りに落ちていた。  まどろみの中で夢を見た……。  久秀は騎乗のまま、銀閣寺参道の入り口にたたずんでいた。  夜明けが近くなるにつれて空が晴れ、月の光が冴《さ》えていく。それにつれて冷え込みも厳しくなり、道端の草の葉が朝露に重たげにたわんでいた。  西の空に傾いていく月をながめながら、久秀は我知らず苦笑をもらした。  なぜ腹の底から笑いがこみ上げるのか、なぜそれが苦味をおびて口からこぼれるのか。久秀は自分でも説明しがたい精神状態におちいっていた。  祥子内親王を近衛前嗣から引き離すことは、周到に計画して成し遂げたことである。求められるまま六百貫の銭を出したのも、その計画にそってのことだ。  だが祥子を手に入れた後にどうするのか、この期に及んでも何の考えも浮かばなかった。  そもそもなぜこんなことをする気になったのか、自分でもはっきりとは分かっていない。ただこうして祥子を待っていると、まるで若い頃のような胸のときめきを覚えた。 (あるいは、あれか……)  久秀は胸の中で独りごちた。  子供の頃から慣れ親しんだひとつの幻影がある。荒涼たる野原を冷たい風に吹かれて歩く母の姿だ。  その姿にどことなく似ていると、久秀は初めて祥子内親王を見た時から感じていた。 (だから、こんな馬鹿げたことをする気になったのか)  四十にして惑わず、五十にして天命を知るという。だが人の心というものは、いくつになっても謎に満ちたままだった。  やがて市女笠《いちめがさ》を目深にかぶり、白い杖《つえ》をついた女が参道に現れた。旅装束をまとった祥子内親王が、月明かりの皓々《こうこう》と降る道を、ためらいのない足取りで下りてくる。
表示ラベル: