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2015-01-26 22:10    ルイヴィトンアンプラント
 果して周二は息をはずまして尋ねる。 「新しい絵、できた?」  いざそう言われてみると、峻一はせっかく年配の者らしくしつらえた姿勢、顔いろを忽ちだらしなく崩してしまい、どんな小学生よりも衝動的に熱意をこめて答える。 「できたとも。三枚、新しいのが三枚あるぞ」  そして彼は立上って押入れから、何枚かの画用紙に水彩絵具で綺麗に描いた飛行機の絵を取出してきた。もともと峻一は絵が妙にうまく、小学生のころから図画だけは常に甲上ばかりを貰っていた。それが肝腎の受験勉強をそっちのけにし、ありあまる時間をたっぷり使って、マニアじみた執念をこめて描いた絵であったから、そのいずれの飛行機もが必要以上に見事にその本来の形態を再現しているのも当然なことといえた。  弟がため息をつくのがはっきりと聞きとられ、峻一はこみあげてくる得意さ、報いられた満足心を辛うじておし殺して言った。 「これは、何かわかるか?」 「カーチス、……艦戦のカーチスF11ゴスホーク」と、兄に教えこまれて飛行機に関してはいっぱしの通である周二は答える。 「よし、じゃあこれは?」 「川崎C5型」 「ふむ」と、さすがおれの弟だけのことはあるわいというように、峻一は長い細面をいっそう長くした。「じゃあ、これは?」 「これはダグラス……あの旅客機のダグラス……」と、周二は口ごもった。 「DC2、DC2だ。日本航空がとうとう買うことになった奴だ。ほら、足がついていないだろう。フォッカー・ユニバーサルの時代は過ぎたのだ。引込脚がいよいよ日本に現われる……」  それから峻一は、しばらくのあいだ飛行機の脚部について、その空気抵抗の問題について、専門家らしくその変遷と将来の見透しを講釈してきかせた。むきだしの車輪、そしてそれを蔽うスパッツ、更に米陸軍のカーチスA8シュライク攻撃機、またこの朝日の川崎C5型のようなズボン脚、そして飛行機は結局はその脚を引込めねばならなくなる。またその翼と支柱の問題、複葉機から上翼単葉へ、そして下翼単葉へ、もちろん支柱などは要らないのだ、将来の航空機は本当に空想科学小説のロケットのようになるであろう。  ——峻一の飛行機熱は昔からのもので、その豊かな追憶を列記したなら、それはそのまま我が国の航空史にもつながるものであったろう。もとより初めは男の子が誰でも空を飛ぶ機械に抱く憧れと好奇の域を出ないもので、大正十二年、はじめて三菱の英人のテストパイロットが航空母艦鳳翔の着艦離艦に成功して賞金十万円を獲得したとき、峻一は八歳で、その十万円のほうに関心が深かった。だが昭和四年の夏、驚異のツェッペリンが日本の空に姿を現わしたとき、峻一ははじめて真剣にかつ阿呆のように、まじまじとその黄色い怪異な船体が東京の上空をゆったりと移動してゆくのを見送った。  そして航空機はようやく目ざましい勢いでその形態と性能の進歩を開始し、さまざまの各国の新鋭機の訪日が続いた。けれども本当に中学生の峻一を夢中にさせ、本物の、正真正銘の、ざらにない飛行機気ちがいに仕立てたのは、昭和五年から六年にかけて競争のように——日本の新聞社から懸賞金が出されていた——行われた太平洋横断飛行の相つぐ壮挙と相つぐ挫折であった。最初のブロムリー、ゲッティ両飛行士の上翼単葉の「タコマ市号」から、その飛行にはただならぬ危険が附随していた。霞ヶ浦を飛び立とうとしたタコマ市号は滑走路の距離が足らず——もとより無理矢理に溢れるほどガソリンを積みこんでいた——タンクの緊急放出弁を開いて、濛々とガソリンの雲を排出しながら辛うじて離陸し、事故だけは免れた。ついで青森県淋代を再出発したがアリューシャン群島辺で悪天候に会い、中途から引返した。翌昭和六年の五月、米人トーマス・アッシュはタコマ市号を改造した「パシフィック号」で淋代を出発しようとして離陸に失敗した。追いかけてその年の九月の初め、米人アレン、モイルの両操縦士は今度はパシフィック号改造の「クラシナマッジ号」で淋代を飛び立った。峻一が「魔の大洋征服を期しマッジ号飛び出る」という新聞の大見出しに胸をときめかしていると、早くもその日の夕刊に、「進路を南方に取るか、その後の消息なし」と、あやしい疑惑の雲がひろがるような記事が出た。翌日には、「けふ正午に至るもなほ消息なし、天候は引続き不良」、ついで「無言の太平洋! モイル機消息絶ゆ、出発以来すでに四十余時間、いま何処を飛ぶ」、その翌日には「魔の太平洋上に消息を絶つ二昼夜半、悲壮! 最初の犠牲者か、沙市安着の望み遂に空し」中学三年生の峻一はひどく胸が緊めつけられたが、当然墜死したと信じられたこの両飛行士は生きていたのだ。やがて新聞は大々的に報じた。「太平洋は殺さず、奇蹟! アレン、モイル、無人島から発見さる!」不時着していた二人は露国汽船によって救助されたのである。  結局この太平洋横断飛行は、その年の十月、ハーンドン、バングボーン両操縦士の「ミス・ヴィードル号」——離陸後その機は故意に車輪を投下し、到着地では胴体着陸を行なった——の成功によって幕を閉じたが、この一連の危うい飛行は言語を絶して峻一の心を魅し、その頭をしびれさせ、飛行機というだけで目の色を変えるほどの少年に仕立てあげさせた。  飛行機、航空機、なんという発音であり映像であろう。——それが旅客機であれ戦闘機であれ爆撃機であれ水上飛行艇であれ、日本のものであれ外国のものであれ、峻一はとにかく好きであった。その翼も胴体も支柱も車輪も、ひとつの鋲、一本の針金すらも彼は恍惚と愛撫したかった。そして峻一は大いなる関心をもって空を、飛行機を見上げた。日本の空には日本の——しかし大半は外国から購入された飛行機が飛んでいた。時が経つにつれて、半ば当然なことに、単純で素朴な思考が彼の頭に芽生えてきた。日本の飛行機はどうしてこうも旧式で、柱も多く、脚も丸出しで、その性能もふがいなく情けないものなのであろう。外国には彼を喜ばし、その写真に見惚れさせる優秀機が矢継早に誕生しているというのに?