收藏

ヴィトンポシェットクレヴェルニ編集

 庄九郎は、強制した。 「大儀であった」  ほめざるをえない。  ところが、そのあとが大変であった。美濃の国中は、譬《たと》えどおり、蜂《はち》の巣をつついたような騷ぎになった。 「かの油商人を殺せ」  と口々にいい唱え、美濃八千騎の地侍のうち、藤左衛門の息のかかっていた五千騎が武装し、在所々々から郎党をひきい、 「お屋形様に願い奉る儀あり」  と押しかけてきたのである。  みな、城外に野営した。  その数は日に日にふえ、七日目には五千騎二万人を越える人数になった。  夜は、大カガリ火を焚《た》く。  その数、無数といってよく、城の櫓《やぐら》から見ると城外の野はことごとく火を噴いて燃えあがるようであった。  美濃はじまって以来といっていい。  国侍の一《いっ》揆《き》にも似た集団陳情がおこなわれたのは。  その主導をにぎる者は、かつて藤左衛門と腹をあわせて庄九郎誅殺の謀議に参加した連中で、その中心人物は頼芸の庶弟揖斐五郎に同鷲《わし》巣《ず》六郎、同土岐八郎。  さらに土岐家一門の重鎮斎藤彦九郎宗雄《むねかつ》、国島将監《しょうげん》、芦《あ》敷《しき》左《さ》近《こん》、彦坂蔵人《くらんど》。  それに、殺された小守護長井藤左衛門の実子で名族斎藤家の出身である斎藤右衛門利賢《としかた》(すでに僧形《そうぎょう》になっており、僧名は白雲《びゃくうん》)が、当然、復仇《ふっきゅう》のために、急先鋒《きゅうせんぽう》でいる。 「あの者を、われらが手にお渡しくだされますように」
表示ラベル: