ルイヴィトン新作
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null 最近「グッバイ・ガール」「第二章」とニール・サイモンの作品が、若い女の子たちに圧倒的な好感をもたれてヒットしている。映画館では、女の子たちがかたずを呑《の》んで中年男女のラブストーリーを暖かく見守っている。それは、ニール・サイモンの作品がどことなく上品であり、シャレた会話や手法のうまさがストレートに伝わってくることが魅力になっているのだろう。  しかし今、中年話専門のニール・サイモンの映画にこんなに若い人たちが集まるというのはどういうことなのだろう。  そもそもニール・サイモンの映画というのは、あかのついた人生を、もう後《あと》戻《もど》りすることも二度とはい上ることもできない中年の大人が、メルヘンを捜し、自分のやさしさを再確認しようというのが図式である。若い子が見たところで、夢もなければ生きる希望が湧《わ》き起こってくるとも思えない。  それは、たしかに今、昔のように若い男女が夢中になれる映画はないかもしれない。日本の青春映画は、なにかというと皮ジャン、オートバイでガードレールにぶちあたって死んでるようなものばかりなので、飽き飽きするのは当然である。  私たちは昔、若い肉体がガラスのような傷つきやすい感性で社会に押しつぶされそうになる、そのひたむきにあらがう姿に胸打たれ涙したものである。「ロミオとジュリエット」とか「ウェストサイド物語」とか「俺たちに明日はない」とか、ジェイムス・ディーンの「エデンの東」でも、私たちは映画の中のヒーローやヒロインと共に泥《どろ》にまみれ、破滅したり傷つくことにつき合ってきた。  ところが、ニール・サイモンの映画はたとえ破滅をしても節度ある破滅であり、その破《は》綻《たん》のなさも、人生の時間をある程度経てきた中年にこそわかるはずのものだ。  しかし、今、若い女の子は一度めの人生で幸せになることなどハナから信用せず、一度めの恋をする前からもう第二、第三の人生のやり直しをする準備をしている。そして一方の中年男はなかなか一度目の人生をふんぎれずに、過去をずるずるひきずりながら、おどおど第二の人生に踏み出せないでいる。  だからこそ「第二章」でのヒロインの「いまが大切なのよ、あなたを放したくないの〓」という迫力が支持をうけてるのだろう。 ラジオと意志