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2015-01-27 23:52    gucci 偽物
 しかし、四日の日が暮れても回答はない。この日深更、広島地域を飛んだB29観測機は、グアム島の司令部に、目標地区の天候がおもむろに回復しつつあることを伝えた。そしてこの日、ザカリアス大佐は最後の勧告を日本へ投げかけた。「必然的な敗北と日本の未来のため、ただちに決断されたい」と。  だが、同盟通信からの答えは苦渋にみちたものであった。「|急《せ》くなかれ。史上初めて外国との戦争に負けるのであり、あなたの知っている東京はもはやない。見渡すかぎりの焼野原に人は掘っ立て小屋を建てて住んでいる。そういう状況下にある政府がどんな立場にあるか、わかっていよう」  八月五日、日曜日、台風は去って、広島の天気は回復した。夜九時二十分、広島地区警戒警報が発令された。七分後に空襲警報と変わり、B29一機が七つの川がゆったりと流れている城下町の上空を飛んだ。この、第五〇九爆撃機の一機である観測機は、翌日の天候も良好であり、市内に異状のない旨をテニアン島に報告した。 [#地付き]●「右か左か、ご決断の秋」[#「●「右か左か、ご決断の秋」」はゴシック体]  八月六日、広島の朝は、むし暑く雲もほとんどない快晴であった。七時九分、三機のB29がレーダーにうつり、警報が発せられたが、敵機は姿をみせず、三十一分に解除になった。敵機は偵察のため飛来したもの、とラジオは伝えた。やれやれという気持で約四十万人の市民が日常の行動に入った。  八時十五分、烈しい閃光とともに大爆発が起こった。一発の爆弾が四十万の人間にもたらしたものは、〈死〉の一語につきる。  東京にある日本の中枢で、広島壊滅の報をいちばん早く知ったのは海軍省だった。八時三十分、呉鎮守府よりの第一報がとどいたのである。海軍省は正午ごろには調査団の派遣を決定している。陸軍中央がこの報を知ったのはずっと遅かった。広島の通信網が完全に破壊されたため、第二総軍司令部(在広島)からの報告は、呉鎮守府経由で送られてきたのである。内容は簡単であったが、敵がいまだかつてない大きい破壊力をもつ高性能爆弾を使用したことを伝えていた。  陸軍省から迫水書記官長を通じて、広島の第一報が政府に知らされたのは午後も遅くなってからである。天皇もまた、同じころ蓮沼侍従武官長から広島市全滅の報告をうけた。進入してきた米軍機は三機、そのなかの一機が一発の爆弾を投じたという。たった一発で広島市が死の町と化した。天皇は顔を曇らせたが、それ以上にたずねようとはしなかった。  下村情報局総裁はいそぎ首相官邸に駈けつけ、首相に強く進言しようとした。あいにく首相他出中と知ると、「右か左か、ご決断の|秋《とき》」と巻紙に書いて、それを総理室の机の上に文鎮で押さえておいてきた。鈴木首相がそれを読んだかどうか記録にはないが、まさしく決断の秋であることは首相にもわかっていた。だが、終戦への段階のもっとも重要で決定的な要素は、抗戦に猛る軍部の動きである。軍部がクーデタに走れば国内は混乱し、すべての苦心は水の泡となる。不確定な情報、真偽不明な報告をまともにうけて、試行錯誤を承知の行動を起こすわけにはいかない。  首相はなお動かなかった。  その夜、首相官邸の仮ベッドの上で輾転反側をくりかえしていた迫水書記官長は、午前三時ごろ、電話の音でわずかなまどろみから起こされた。同盟通信社の海外局長長谷川才次からのもので、受話器の向うでせきこむような声が、 「トルーマン大統領が広島に落としたのは原子爆弾であるといっている」  と、恐るべき事実を告げた。長谷川の知らせは、サンフランシスコ放送が大統領声明を全世界に流した、というものであった。  夜が明け、同じ放送を聞いた外務省筋よりこのことを知らされた藤田侍従長は、ただちにご文庫へといそいだ。報告を聞いた天皇は侍従長を通し、政府と大本営へもっと詳細を報告するように命じた。しかし、大本営はその可能性を認めつつも、なお連合軍の宣伝または策略かもしれないとして、強気と冷静さとをよそおった。あらゆるところに|箝口令《かんこうれい》がしかれた。  午後になって閣議がひらかれたが、当然のことながら原子爆弾が論議の焦点となった。  東郷外相が烈しい口調でいった。「かかる残酷な兵器を用いることは、毒ガスの使用を禁じている国際公法の精神に反する不当行為であります。スイス公使館、万国赤十字社を通し、すみやかに原爆使用を停止すべき旨を厳重に抗議することとしたい」  この提議は、首相の「それがいい、強く強く抗議して下さい」の一言で閣議決定された。