ルイヴィトンダミエバック
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null「一行は議事堂をくまなく案内され、華麗をきわめた天井を示されたが、アメリカ人たちの驚いたことには、何よりも一行が興味深くおぼえたようにみえたのは、建物にも非ず、天井にも非ず、実に立法手続の議事進行法そのものであった。一行はほんのしばらくとどまったにすぎず、やがて退場したが、そのあとを追うように、議員たちの哄笑《こうしよう》が爆発し、傍聴席からは、男子も婦人も先を争うて、どっとばかりひしめきあうて廊下にとび出し、あとはほとんどガラあきの体となった」 と、『レズリー絵入新聞』は報じている。  江戸城や東照宮の華麗さを知っている日本人は、議事堂を見せられても、アメリカ人が期待したほど驚かなかったことはわかる。それよりも、国家の重大事が、大衆の面前で、魚市のように大声をはりあげて論ぜられている姿には、それこそキモをつぶしたらしい。さらに、一行が退場したあとの議員や傍聴人の無作法な態度にたいし、新聞がそれとなく筆誅《ひつちゆう》を加えているところに、アメリカ側の反応があらわれている。  それにしても、アメリカが使節団の歓迎にこれほど力を入れるのはどういうわけか。  ペリーのあとにきて日米通商条約を結んだハリスにいわせると、日本人は「喜望峰以東のもっとも優れた人民」であるが、その日本の鎖国を打破して国際社会に引き入れることは、十九世紀世界外交の最大の課題であり、しかもこれを平和な手段でなしとげたのはアメリカだという誇りと満足から出ている。これはアメリカの伝統的な使命観ともいうべきもので、すでにワシントン大統領時代の副大統領で一七九六年(寛政八年、家斉時代)二代目大統領となったジョン・アダムスは「いかなる国も全人類の福祉にたいして、ひそかに貢献することを回避する権利はないという見地から、日本を開国することはキリスト教国の義務であり、それに応じることは日本の義務である」という意見をのべている。  実利的な面でも、むろんアメリカは日本の開国に大きな望みをよせていた。この使節団を迎えてアメリカの新聞は、 「これは国家的にも商業的にも最高の重大事件である。そもそも日本人はアジアのイギリス人である。イギリス本国のわれらの祖先たちと同じく、日本人ももともと島国人であり、島国人特有の美徳も偏見もことごとくそなえている。日本人は異国人を軽蔑《けいべつ》するが、一面において独立自営の能力もたしかにもっている。その風習には、われわれから見ても、なんともバカらしいものも多いが、日本人はこれをまじめに信じ、徹底して遵奉している。日本の国産には、アメリカにおいて売れる品物がたくさんあるし、またわれわれの生産品で日本において消費されるものもどっさりある。商業交易の道をわれわれと開くことが、日本人に利益になることをかれらに納得させれば、十分価値ある貿易が成立するであろう」とのべているし、つぎのように論じているものもあった。 「こういった商業上の利益をはなれて考えても、日本人と友好関係を開くことは、きっとわが太平洋沿岸諸州に大きな利益をもたらすにちがいない。遠く海をへだてた隣人たちのなかで、日本人こそ、もっとも親近する価値ある国民である。やがては両国のあいだで、各種の商品のみならず、人間の交換もおこなわれるであろう。わが国人は日本におもむき、アメリカ人の性格の最善の面を日本人に示そうと努力するであろうし、日本のほうでも、移民をアメリカ領土に送って、日本村を建設するにいたるであろう。われわれは文明国たることを誇称しているとはいえ、日本人から学ぶことのできる事柄も多々あろう。少なくとも遵法の義務は、かれらに学ぶことができる」  このころのアメリカは、南北戦争の直前で、�遵法�という点では、三世紀近くもつづいた徳川の封建制度できたえられた日本国民に劣ることを正直に認めているのだ。  [#小見出し]ミイラを見て�夷狄論�  約五千年前、南日本から太平洋をわたって南米のエクアドルヘ航海がおこなわれていたということが、最近、アメリカの「スミソニアン研究所」から発表された。縄文文化の類似から、そういう結論が出たのであるが、これはじゅうぶんありうることで、アメリカ大陸の太平洋岸には、日本に似た地名とともに、日本人がきたという伝説がのこっていることは前にのべた。  ところで、この「スミソニアン研究所」というのは、一八三五年アメリカのワシントンに、ジェームズ・スミソンという篤志家の遺産を基にしてつくられたもので、この使節団もこれを訪問している。  この建て物は周囲に生け垣があり、日本の別荘に似て、「市中の人家とはまったく異なり、按ずるに宝蔵の類ならん」と佐野鼎が書いている。そしてそこには、 「鳥獣魚|鼈《べつ》などすべて奇珍なるものを、あるいは肉をぬき乾し、または焼酎漬などにし、ガラス壜に入れ、また大いなるものは戸棚をもうけてそのなかにおき、玻璃《ハリ》障子をもってとざしなどするなり。また一棚あり。ことごとくわが国の物品のみをおき、先年水師提督ペルリに賜わりたる無紋の熨斗目《のしめ》、婦人の打掛・白無垢の下着など、衣服の類を多くあつむ。また他の一所に刀剣の類をあつめ、長刀《なぎなた》・白鞘の新身《あらみ》そのほか農具のうち鍬、鋤などこれあり。わが国のものすでにかくのごとし、いわんや従来通交の他国の物品をや。天下万国の奇珍異物ここに集簇《しゆうぞく》す。何のためなるや考うる能わず。按ずるに、諸物を多くあつめて衆民に示し、人の識見を広からしむるものならんか」  村垣もここを訪ね、ミイラを見て驚いて、例の夷狄《いてき》論をもち出している。 「ガラスをおおいたるなかに人間の乾物三つあり。千年も経しものという。野ざらしのごときものにはなし。肉皮とも乾きて全骸立ちたり。男女といえど見わけがたし。天地間の万物を究理するゆえ、かくのごときにいたるといえど、鳥獣虫魚とひとしく人骸をならべおくは言語に絶したり。夷狄の名はのがれぬなるべし」