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2015-01-30 04:05    ルイヴィトンボディバッグダミエ
 小山忠は、ポツリポツリと、自分と飛び魚ミミの話を始めた。この年齢(と し)になればどんな年季の入った懲役でも、気心の知れた相手が居れば、話しておきたい自分自身の物語りがあるものだ。  具合の良いことに、他の流れ作業の役席(えきせき)と違って、この一品物を作る役席は、図面を拡げておきさえすれば、とがめられずに永い間話がしていられた。もっとも、見張りの看守の目をあざむくため、話の内容には関係なく時々図面を、指でチョンチョンなんてやって見せる。  下町の同じ町内、それも三軒隣りの左官の娘が飛び魚ミミだった。父親は腕の良い職人だったけど、兵隊で連れて行かれた南の島で、毒虫に刺された上に内臓を痛め、復員して来ても月に半分ほども働けず、貧しい隣近所の中でも、とりわけ苦しい暮しだった。  昭和三十年までの東京は、とても貧しく、喰べるのだって大変だったけど、飛び魚ミミはツギの当った古着を着て非道(ひど)い物を喰べながら、それでもスクスク大きくなっていった。  子供の頃から目鼻だちのクッキリとした陽気な娘で、唱わせても踊らせても人並はずれて上手だったし、運動神経も素晴しかったから、学芸会でも運動会でも、飛び魚ミミはいつでも抜けたスターだった。  飛び魚ミミが中学をおえる頃になると、方々の芸者屋から親の貧乏を見すかしたスカウトが、器量とのびのびとした身体、それに芸ごとの筋の良さを聞いて、むらがって来たのだけど、この時は親もよく頑張り、飛び魚ミミは自分の望む浅草のレビュー・チームの見習になれたのだ。 「俺はその頃、若手では腕自慢の差物師だったけど、その頃は普通の堅気はまだまだ喰べるのが一杯で、とても家具にまでは手がまわらなかったから、注文は、飢えた東京の人達に喰べ物を無茶苦茶な値段で闇売し、農地解放とかでタダ同然で土地を手に入れた近郊の百姓どもと、これも闇で儲けた新興成金、それに外人さんとまず決まってた」  そこまで話すと小山忠は咳こんでしまい、軽い咳だったけどなかなか止らず、暫く身体を折るようにしゃがんでいた。  いずれにしろ、家具を頼まれる先が、どれも癪にさわるような奴ばかりだったから、つい納めた後で夜分しのび込むようになってしまったわけだ。と小山忠はちり紙でしきりと痰を、苦しそうに何度もとりながら言った。 「なるほど、昼間家具をおさめに行った時、山見をするわけだ」 「ア、順さん、山見(やまみ)なんて盗っ人の言葉(ちようふ)を知ってるんだ」  若い看守が見まわりで、すぐ脇の通路を歩いて来たから、二人は慣れた仕草で図面を突ついて見せる。  飛び魚ミミは、新人ながらメキメキ芽を出し、同期では一番早く、ちょっとした役もついた。恵まれた資質が所を得て、花の蕾が大きくふくらんだ、といった様子だったのだ。  けど、芸人の世界は、どこでも同じなのだが、レッスン代とかつけ届けとか、いろいろ出銭(でせん)が多く、若い間はどうしてもお給金だけでは足りない仕掛になっている。  すっかり娘らしくなった飛び魚ミミと、地下鉄でパッタリ会って、浅草のフルーツ・パーラーに入ると、 「そんなわけで、この道で身を立てると決めた以上は、仕方がないから旦那をとるわ」  と飛び魚ミミは、子供の頃と変らない陽気な仔猫のような顔をして、それでも矢張り悲しげに目を伏せて言ったので、 「お前さんさえ構わなければ、今日の今から俺が面倒を見させてもらう。どうか立派な芸人になってくんない」