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 このような事態に於《おい》て、利勝が、予《か》ねて天下に望をもつ駿河大納言と気脈を通じて、家光を除こうとすることは、必ずしもあり得ぬことではない——が、 「企《たくら》みおったわ、利勝め。この政宗、七十年の間、むだに飯くらって、皺《しわ》数ふやしおると思うてか」  政宗は、今度は声を立てて笑うと、直《すぐ》さま兵部に、 「雅楽頭の邸《やしき》に参る」  と云った。 「御老中、かようなものが参った。ちと、悪ふざけが過ぎるような」  酒井邸の大書院で、政宗は雅楽頭忠世に、そう云って、密書を手渡した。忠世はちらと政宗の顔をみて気軽に受取り、中身をさらりと読むと、ちょっと小首をかしげて下唇をつき出し、懐中にしまった。子供が、ちょろっと舌を出す時のような表情である。  そのまま、密書については一言もふれず、何気ない雑談をして、 「御苦労でござった」  と政宗を送り出した。  政宗が去って二刻ほどして、藤堂《とうどう》高虎《たかとら》と島津《しまづ》家久《いえひさ》があらわれ、つづいて毛利《もうり》秀就《ひでなり》の来訪が伝えられた。  三日目の夕刻、ひどく憂鬱《ゆううつ》な顔をして現れた加藤《かとう》忠広《ただひろ》を最後に、利勝の密書を届け出たものは、十三名に及んだのである。  届け出た大名の態度は十人十色、後になるほど口数多く、混乱していたが、忠世は、そのどれに対しても同じように無造作に受取り、格別のことは云わず、御苦労と挨拶《あいさつ》してかえした。  忠世は、もともと、利勝のこの「小細工」に賛成していなかったのである。  家光の弟忠長が、幼時から秀忠夫妻の寵愛《ちょうあい》をたのんで、ややもすれば兄家光をないがしろにし、天下の諸侯もこの状況をみて、忠長こそ将軍の位を嗣《つ》ぐべきひととみて、家光に対する以上の崇敬の意を示した事は、隠れもない事実である。  家康の裁断によって、家光が将軍職についてからも、忠長は弱冠にして大納言の位に上り、駿遠甲を領して、御三家の上に位した。江戸|参覲《さんきん》の諸侯で、東海道を通るものは悉《ことごと》く、駿府城で忠長の機嫌を伺い、宛然《えんぜん》、第二の将軍の如くに仰がれている。  その忠長が、大坂城を賜わらんことを望んで許されず、百万石を領せんことを願って容れられず、憤激の余憤、しばしば粗暴な行いをなしいることも、世評喧しいところである。外様大名と殊更に慇懃《いんぎん》を通じたり、浪人ものを多く召抱えたり、鉄砲その他の武具をほしいままに買入れたり、——不穏の企図を疑わしめる余地は充分にあった。  土井利勝が諸大名の心中を確める為《ため》、謀反加担の誘い状を送る苦肉の策を提案したのは、これによって、秀忠の生ある中に、禍根を剔抉《てつけつ》し去ろうと考えたからであるが、酒井忠世は、その効果については大した期待をもたなかった。
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