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2015-01-31 06:10    アナスイ長財布新作
 徹吉が調べたところによると、否、調べるまでもなく、太古の精神病者は、明らかに魔がついた、悪霊によるやむにやまれぬ産物であった。心霊的、降神的な存在であった。古代インドの文献、ヴェダ、マヌ法典、マハヴァラタ、ラマヤナなどがそれを証している。そして彼らの学問によると、霊魂は心臓のくぼみに住み、肉体を道具として用いている。それはブディ(知能)とアハンカラ(意識)をもち、いつかはプラナ(呼吸)の中へ退き、プラナは生きた魂となって身体から離れ、いずこへとも知らず転生してゆくのである。  ギリシアでは、まずアスクレピオスの神殿があった。この神殿の前で狂人を癒すため、威圧的な儀式をもって巫女たちは踊り狂ったが、実は彼女ら自身が狂っていることは火を見るより明らかともいえた。然しながらギリシア人の実証的な精神は、単に肉体を苦しめるもののみが病気であるという概念から、精神を歪めるものもまた病気の一種であるという斬新な概念を辿っていった。おそらく最初に人体を解剖したアルクマイオンは、眼球を摘出し、われわれの感覚が脳と連絡していること、人間の理性の謎は脳の中にあるらしいと気づいた新知識人の一人であった。一方、詩的な思弁にふけりたがる同時代の医師たちを非難したヘラクレイトスにとって——これも後の世から見ればずいぶんと詩的な思弁にちがいなかったが——理性は人間の内部にある火に依存するものであった。火が乾いていれば理性、霊魂は健やかであるが、これが湿っているほど病気に近く、湿気が極度に過剰になると、低能や狂気が現出する。  さて、医学の父と呼ばれる先駆者、ずっと何世紀かを眺めわたしても明瞭な高峰として目に立つヒポクラテスは、癲癇すなわち「神聖な病」に関する序言のなかで、もっとも重要なことを発言している。「この疾病は、他の疾病より一段と神的であるとか、神聖であるとかいうことは決してなく、他の疾病と同様、自然の原因で起るように思われる。……最初にこの疾病をデーモンと結びつけこれを神聖化したのは、偉大な敬虔と深遠な知識とで偽装している魔法使い、清祓師、詐欺師、法螺吹きの放浪者のような連中なのだ。これらの者は自分たちが途方にくれ、この疾病を癒すことができないため、それを神性のヴェールで覆い隠しているのである」そしてヒポクラテスは、その臨床観察家の眼でもって、産褥性狂気を、恐怖症の例を、譫妄を、記憶障碍を、大出血のあとに起った急性精神錯乱を記述した。彼は精神疾患を分類し、癲癇、マニー、メランコリー、パラノイアなどを記載した。ヒステリーは彼によると女に限られた身体疾患で、子宮が身体の中で動きまわるためのものとされた。しかし彼もまた狂気を或る種の体液によるものと考えており、なかんずく黄色胆汁と黒色胆汁が主役を演じた。また季節的な要因も重要性があり、躁病、鬱病、癲癇は春の病気とされた。  またギリシアにはすべての知識の荷ない手、滅相もなく頭のよい哲学者たちがいた。ソクラテスはしかし、自分自身が幻聴や昏迷状態をもつ偉大な分裂病患者であったようで、プラトンも人間の本質に独特の鋭い分析を加えたにせよ、純粋に医学の面からいえばヒポクラテスよりも後退していた。彼によると、非合理的な霊魂は病気になり得るので、狂気には三種、メランコリー、マニー、痴呆がある。愚かさには狂気と無知という二種がある。狂気はある場合には病気のために起るもので、別の場合は神々からの賜物である。アリストテレスもまた心臓論者で、感覚や知覚の機能を露ほども脳や脊髄には結びつけなかった。彼はヒポクラテスの胆汁説を修正し、黒胆汁自身が狂気の原因ではなく、真の原因は寒暖で、胆汁は単にそれを伝えるだけのものであるとした。だが彼の教え子ストラトンはもっと脳に多くの注意を向けた。  哲人たちにすっかり混乱させられて、それから徹吉は着実なエフェズスの分類医学者ソラヌスのほうへむかって行った。彼の急性及び慢性疾患の二大著作はウレリウスのラテン語の翻訳に受け継がれ、ごく要所ではあったがその英訳本を入手することができた。幸いなことに徹吉には、個人で万を越える蔵書をもち、ギリシア、ラテンはもとより十数カ国の言語をそのさして大きくもない頭蓋骨の中へすっかりつめこんでいる哲学者であり言語学者である知人がいた。あまり知識を頭につめこみすぎて自分ではいつも頭痛がするから楡病院の薬が欲しいと言っているこの秀でた学者は、徹吉の請いに応じて黴の生えた書物を捜しだしてくれ、それを食欲のない子供のようにいかにもまずそうな顔をしながら訳してきかせてくれた。そしてソラヌスは面白く有益であるといえた。やはり徹吉は一介の医師にすぎず、医者の書いた書物はよく理解でき堪能できるようであった。その治療法の点でしょっちゅうディオクレスやエラシストゥラトスやヘラクリデスと論争しているそのソラヌスの書物は。  さらにアレキサンドリアの学者たち、そこからローマへ移住していってつかのまの科学的殿堂をきずいた学者たち、なかんずく精神病を「感覚の疾患」と呼び、すでに妄想と幻覚を明瞭に区別したアスクレピアデスがいた。しかしエピクロス派に盲目的に従わないストア派のキケロは、人間は肉体と霊魂とより成っているのになぜ前者にばかり注意がはらわれ後者の癒しの技術がこうもなおざりになっているのか、と賢明な言葉を吐いたが、同時に彼としては当然のことながらこうも言った。「霊魂を癒す術は存在する——それは哲学である」しかし彼が精神病に関して当時の医者たちより更に進んだ独創的な考えを持っていたことも明らかであった。またコルネリウス・ケルススは百科事典的な医学書を編纂しており、幾多の狂人の治療法をもあげていた。ときには患者の頭髪を剃り、そこへ薔薇油を塗りつける類いの治療法を。また「病める者全部を癒すことは不可能である。もしそれが可能なら、医者は神よりも優れたものになろう」と断言したアレタイオスがいた。もっと多くの、はじめて知る徹吉をある意味で瞠目させた医学者たちがいた。徹吉の貧しい知識の中で、乱雑にかき集められた古代の人々の思考、その業績は時代もばらばらに前後し、更めて初めからもう一度組立て直さねばならなくなった。そしてギリシア・ローマの精神医学史の最後に、文字通り最後の人として、ガレノスの伝記が登場してきた。ヒポクラテスとは七世紀へだたったこの男が紀元二百年に死んだとき、医学史は長い涯のない暗黒時代へと続いてゆくのである……。  徹吉ははじめ、近代精神医学が勃興するその前史として、その仄かに薄暗い、或いはどぎつく暗い背景として、このギリシア・ローマ時代、それからその遺産が完全におしつぶされた中世までの時代、またルネッサンス当時の精神医学、ついで十七世紀十八世紀の、やがて真の黎明の訪れが胎動する時代、——そうした各時代を、ほんの素描、ほんの前がきとして書いてみるつもりであった。片手間の備忘、おそらくは原稿用紙数十枚で片がつく心算であった。ところが、実際にはそうはいかなかった。自分で唖然としたことに、そのそもそもの発端、ギリシア・ローマ時代を、いがらっぽい慰め事として、つかのまの逃避の場所として、ぼつぼつと手をつけだし筆をとって書きだしたのがたしか二年半前であったか。昨年それはもう終っていた——単にギリシア・ローマ時代のみが。そして、そのはしがきに過ぎぬ発端に、文字を埋めた原稿用紙はすでに三百数十枚に達していた。  これはどうなるというのだろう、と徹吉はさすがに憂鬱な気持で考えた。こんな調子でこのあとも続けてゆかねばならないのか? とんでもない! そんなことは大それたこと、いや、実に愚かしいこと、嗤うべき迷妄にすぎぬ。それは自分の役割ではない。第一それは、近代精神医学とは関係なく、全くの余計な煩雑物にすぎないではないか。こう思いつつそう感じつつ、さながら悪習に囚われた情けない男にも似て、徹吉はやはりぼつぼつと次にくる古い時代のことを調べだしていた。ときどき、彼は書物を投げだして自らを嘲笑った。ああ莫迦げている、莫迦げている。こんな古代の人間の幼児のごとき解釈を、たわいもない治療法を覚えたところで、それが自分にとってそもそも何になる? なるほどその治療法は奇抜である。瀉血や吐剤や下剤はまだよいほうで、患者を能うかぎり傷めつける拷問や笞刑や暗黒の部屋への幽閉や水中への投げ込みがしきりと行われていた。  だが、と徹吉はまた自問した。こうしたことを果して本気で笑っていられるか? ずっと近代になって、徹吉のいう真の精神医学が発達してきてからも、治療自体は果して進歩したと言えるのか? 十八世紀にはショック療法に通ずる種々の身体療法が発達した。たとえばチャールス・ダーウィンの祖父エラスムス・ダーウィンが発明したいわゆる「ダーウィンの椅子」は、患者は特殊な椅子に縛りつけられ、口や鼻や耳から出血するまで激しく回転させられた。十九世紀の独逸でも、どこから考えても偉い立派な医師が、患者たちを特殊な袋に入れたり強制起立を励行させ、あるいは嘔吐療法、疼痛療法が推奨された。すぐれた医師ホルンは患者に、一回について手桶二百杯を下らない冷水を勢いよくあびせかけた。そして現在はどうなのか? なるほど精神病の中で唯一の脳細胞の変化を知ることができた麻痺性痴呆には、マラリアによる発熱療法という強力な武器はできた。癲癇患者にも発作を抑える薬がある。躁病の患者もそれを収容しておくのは大変な難儀とはいえ、時期がくれば平静に戻る。だが肝腎の早発性痴呆患者には? わずかばかりの鎮静剤、昔ながらの水治療法、鎖につなぐことこそなくなったが、隔離して、見守って、ある者には作業をさせ、ある者には保護衣を着せ……そのほかに何があるのか? まだ革命的なインシュリン療法、電気療法、——それらはまもなく徹吉たちの手にも与えられたが——まして第二次大戦後世界が所有するようになった多種類の著効ある薬剤は現われてはいなかった。疾患の精密な分類、症状に関する厖大な知識こそさずけられてはいたが、治療に関しては古代からいくらも進歩していないように思われた。  その通り、楡病院に入院している患者——狭義の狂人の多くは、なかなか癒ってはくれなかった。どんな一介の町医者にとっても患者が癒るということは一つの喜びにはちがいない。患者も感謝すれば、家族も感謝する。狂人相手ではそれが少なかった。逆に訴えられることもままあった。そして徹吉が渋い表情で面接してみると、訴えを起した患者の親、あるいはその兄弟と称する人物は、徹吉の学んだ精神医学にかけて、屡々患者自身よりももっと病的であった。なるほど患者が癒らずに長いこと入院していることは、病院経営には有利なことといえる。しかしそれは院代勝俣秀吉をこそ喜ばせたかもしれないが、徹吉の胸に傷を与えた。  あるとき徹吉は、患者から眉間を目のくらむほど直撃されたことがある。それは口もきかず動こうともしない荒廃期に達した早発性痴呆患者で、回診に訪れた徹吉がその顔を覗きこもうとしたとき、どうしたものか、彼の症状の経過から考えて実に珍しいことであったが、矢庭に拳をのばして院長の眉間に打撃を加えたのであった。それが非常な勢いだったもので、かがみこんでいた徹吉は突きとばされ、院長としての権威をまったく放擲するみじめな恰好で尻もちをついた。院長回診に従ってきた医者や看護婦が慌てて患者をとりおさえたが、しかし後尾のほうにいた若い見習看護婦はどうしても我慢できず、下うつむいて長い間くすくすと笑った。  額の激痛はあとにまで残った。しかし徹吉が外来診察所に戻ってくると、幾人かの通院患者が待っていた。なかんずく基一郎時代から通ってきているけばけばしい身なりの老婦人は、実に長時間をくどくどとしゃべり、いっかな椅子から立上ろうとしなかった。 「あたくしの病気は、これは一体全体何と言うのでしょう、先生? たしかにそんじょそこいらにあるような病気じゃあございませんわ、そうでしょう、先生?」  徹吉は、奥さんのは心気症というもので、御自分で考えているほど心配すべきものではないのだ、と答えた。 「そんな筈はございません。大先生はそんなことおっしゃいませんでした。半分は贅沢病、そう、贅沢病とおっしゃって、それからあとの半分は、これはあたくしにはわかりませんが、そんじょそこいらにないような、外国の病名をおっしゃいましたよ。あたくしはもう来るたんびにそれを聞いたもんですが、それをすっぱりと忘れてしまうもんで、それもやはりあたくしの病気のせいなんでござんしょうねえ?」  徹吉は、思いつくままに幾つかの独逸名を並べてみせた。 「さあ? そうじゃございませんわ。たしかにそれとも違っていました。そんな平凡な名前じゃあなくって、こうなかなか覚えられないような、むずかしくて滅多にないような名で……あたくしはそれを聞くと、それだけで胸がこうどきどき……一体この世にこんなふうに胸がどきどきする人がいますもんでしょうか? これはざらにはないことですわ。それを大先生がちゃんとした病名で名づけてくださいましたのに、一体あなた様はあたくしの病気がおわかりなんでしょうかねえ? そんじょそこいらにないようなあたくしの病気を、ねえ先生? 大先生はあたくしを特別扱いになさって、お薬も特別の外国から来たお薬しかくださいませんでしたよ。外国からきたお薬を今日頂けるんですか? 薬剤師もあの頃とは変っていますのでしょう? あたくし不安ですわ。とても堪らないほどこう胸が……血圧をもう一度測って貰わなくっていいのかしら。そのお薬はこう白くって、ただ白いのでもなくうっすらと黄色味がかっていました。それもところどころピカピカ光って、あれは幾通りもの薬を調合したものに違いありませんわ、それも外国からとり寄せたお薬ばかりで……」  徹吉はまだずきずきする眉間の痛みをじっと辛抱しながら、たしかに外国からきた薬をすぐにも調合させましょう、と返事をした。