收藏

シャネル カメリア 財布 コピー編集

 家の宗教はいつの代からかは知らないが日蓮宗だった。育った家には仏壇があり、毎朝お茶と仏飯を供え、線香を焚《た》いていた。戦争で兄二人が位牌になってからは、両親の朝の勤行はとくにていねいになった。しかし、Cさんにとっては、宗教は幼時のころと大して変わりのないものであった。  ところが、執行体験をしてからというもの、Cさんは急に神をおそれる気持ちに目覚めた。神といういい方に語弊があるなら、天の摂理、あるいは自然の摂理へのおそれといってもいいと思う。  とてつもない罰《ばち》当たりなことをしている自分に思えてならなかった。  神によってしか創《つく》り得ない生命を、破壊してしまうという大それた罪。その大罪を、Cさんは日々の自己の生活を守るために犯している気がした。  汚れてしまった自分。こう考えると、Cさん自身の行く手に幸福など訪れてくるわけはないと思えた。  妻の懐妊を知ったとき、喜びより不安、楽しみより恐ろしさが先に立つのだった。  月満ちて、長男が誕生した。 「手足の指もそれぞれ五本ずつ、目も鼻も口も、不自由なくついていると知って、申しわけなく思いましたよ」  五体満足で、元気な男の子と聞かされたとき、Cさんは大声で泣いてしまった。ありがとうございます、と感謝の言葉をくり返しながら。 「どんな子供が生まれても、自分の因果だからと自分では受け入れる覚悟でいました。ですが、子供自身は、私を親に選ぶわけではないので、もしふつうでなかったらすまない、なんといいわけしたらいいかと、それは悩んだですよ」  五体は満足というものの、しばらくはまだまだ不安がつづいた。  目が見えるだろうか。耳は聴こえるのだろうか。口はきけるようになるのか。足はちゃんと立って歩けるのか。  わが身にふりかかってくる災難なら天罰と思って、甘んじる覚悟でいた。しかし、わが身を通りこえて災厄が子供の上に降ってわいたら、なんといって詫《わ》びたらよいのか。Cさんの心の安まる日はなかった。   「悔しい」のひと言  死刑執行は、回数を重ねれば罪悪感も鈍磨していくというものではない。回数を重ねるだけ、自己の汚れ、自分という人間が人間としてのあさましさを深めていくばかりに思えるものだった。  死刑の判決を下す裁判官は、自分の判決によって、Cさんのように人生を暗い、みじめなものにしてしまう立場に立たされる人間がいることを、考えることがあるのだろうか。  執行命令を出す法務大臣は、執行官を務めなくてはならない刑務官のことを知っているのだろうか。
表示ラベル: