ルイヴィトンバッグダミエ
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null 興行師たちには、忠臣蔵をやりさえすれば当たるという自信があり、たしかに、どこの小屋でも、新作の不入りの時には、忠臣蔵をピンチヒッターにたてている。  元禄十五年(一七〇二年)十二月十四日夜半赤穂浪士が吉良邸に討ち入り、翌年の十六年二月四日に赤穂浪士が切腹するのを待ちかねたとばかりに、わずか十二日後の二月十六日には、江戸中村座で中村七三郎一座によって「曙《あけぼの》曾《そ》我《がの》夜《よ》討《うち》」と、曾我兄弟の仇《あだ》討ちにたとえて上演されている。一人だけ切腹をまぬがれた寺坂吉右衛門は、現実を上回る事件の広がりや、その構成の深さに、さすが世に顔を出せなかったという。   憂国  親《しん》戚《せき》の五つになる子供が「額によっちゃ考えるところがあるぞ」みたいな、大人を見くびった目つきで小遣を請求してくる。その親は後ろで「なにとぞ事を荒立てないように」と、卑屈な目をして手を合わせている。私はその世紀末の様相に我慢できず、おもいきりひっぱたくと、子供はタンスの角で頭をぶつけ血を出して泣き出したが私の怒りはおさまらず、ねじ伏せて首を絞め半殺しにしてやった。目には目を、である。こっちが匕《あい》首《くち》振りかざすほどの愛情見せたら、敵だってそうそうのぼせ上がれないだろう。今日もまた善行をしたとさわやかな気分になるはずなのだが、どうもスッキリしない一日であった。  最近、新聞も読めないガキどもに新聞を占領されてホントくやしい。新聞に、ラジカセ買ってくれなかったのを苦に中学生が自殺した、とある。ふざけた話である。人間が、ラジカセ欲しさに死ねても新聞の見出しになれるはずがない。また売春も、新聞の片すみの見出しから中央に飛び出た時、それは売春でなくスポーツである。どのような下劣な娼《しよう》婦《ふ》も、小遣銭欲しさぐらいじゃ売春などするものではない。春を売ると書いて売春と読ませるニュアンスさえ知らない鼻たれ娘どもに街に立たれ、ホント立つ瀬がない。  女性週刊誌より毎朝の新聞の方が楽しみな昨今、小説よりも新聞がおもしろいのを苦にして自殺する作家、政治政策に自信喪失して自殺する政治家とか役者はいっぱいいるはずである。嘘でもいいから、大人も負けていない、新聞代払っているのは俺達だとの気概を見せたらどうか……と、まあ、いうようなことを先日コラムで身の程知らずに説教をたれてみたところ、読者から手紙をいただいた。 「ロースだのカルビだの恥ずかし気もなく大声を張り上げ、『大作家ほど糖尿病になりやすい』と真顔で議論している最近の焼肉屋文化人の生態を嘆き、あの古典的な肺病になる真摯さをもって時代と対《たい》峙《じ》しろとは暴言とは思いませんか。十八の時から十年間闘病生活を送っていた者の気持ちもお察し下さいまし。肺病のために青春を奪われ、婚期を逸した者の苦しみもお察し下さいまし……」切々とした文章が続く。正直言って辛かった。  窓辺に座ってタバコをくゆらせ、秋の風を感じ、ともすると殊勝な気持ちになってしまいますが、まだまだ女子供の感傷に屈せず私の目の黒いうちはとイキがって、正義のために働こうと思います。