gucci 2つ折り財布規格品のコーナー_グッチ財布メンズ新品 ブランドgucci 2つ折り財布オファー gucci 2つ折り財布公式サイトの旗艦店 outlet!


2015-02-04 02:14    gucci 2つ折り財布
 沼田光友が京にもどって復命したのであろう。光秀からあわただしく飛脚便がとどいた。  幽斎は、その書信をひろげた。書体までが蒼《あお》ざめているような書きぶりだった。 「信長公を悼《いた》んで髻をお払いなされたとのこと、驚いている。それをきき、自分もいったんは腹が立ったが、それも人情で致し方がないとも思った。しかし事態がこうなった以上、自分に味方をしてもらいたい。貴殿にさしあげる国としては、摂津を用意している。いや、但馬《たじま》と若狭を望まれるならそのお望みどおりにする」  と、急に辞色をやわらげ、むしろ哀願するような文臭さえある。人気のあつまらぬ光秀の窮状が目にみえるようである。本能寺ノ変後、たれよりも困惑しているのは光秀自身ではないかと幽斎にはおもわれた。 「われら不慮の儀、存じ立て候事《そうろうこと》」  と、光秀の手紙はつづく。「自分がこの不慮の儀(本能寺の一件)を思い立ったのは」という意味である。 「自分の婿であり貴殿の嫡子である忠興を取り立てて大身にしたかったためで、それ以外に他意はない。五十日、百日のうちには近畿を平定することになろう。近畿平定後は、自分は隠居をし、天下を忠興にゆずり渡したい」  とまでへりくだって書いている。この哀切きわまりない手紙が、二十世紀ののちにいたるまで細川旧侯爵《こうしゃく》家に所蔵されて人目に触れつづけてゆくであろうとは、光秀はむろん思わなかったであろう。光秀は、ひたすらに哀願した。 (あまい)  幽斎の心はうごかず、むしろこの場合、光秀と義絶することによって、世間に自分の立場を鮮明にし、つぎの天下に生きのびるための布石にする必要があるとおもい、断交の手紙を送った。  同時に、光秀の娘である忠興の嫁お玉を一時離縁し、丹後国三戸野《みどの》に幽居させた。  ほどなく備中にあった羽柴秀吉が兵を旋回し、光秀を討つべく山陽道を駈《か》けのぼっていることを幽斎は知り、急進中の秀吉に誓書を送ってその隷《れい》下《か》に入るべき旨《むね》を誓った。 (秀吉の世が来る)  と、幽斎はおもったのである。事実、亡君のうらみを晴らすという、この場合もっとも絢爛《けんらん》たる名分をかかげた秀吉の陣頭には、時代の熱気があつまっていたし、それを支持する織田家の群小大名は、秀吉をかつぎあげることによって家運を拓《ひら》こうとしていた。 (北陸の柴田勝家は、早急には京に到着できまい。関東の滝川一益は遠くはなれすぎているうえに人気がない。丹羽長秀は織田家の老臣であるというにとどまる。才略徳望ともにそなわって、しかも京に近い場所にいるのは、羽柴秀吉である)  幽斎は、そうみていた。丹後宮津の幽斎の観望するところ、光秀はすでに天下取りの者どものための、哀れな餌《え》食《じき》としてころがっているにすぎない。