ルイヴィトンエピスピーディ30
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null まだ覚め切らない声で、はい、ええ、とだけ答えていた彼女が最後に低く、それで、呼吸は止まっているのですね、と念を押した。やれやれ、美智子はまた呼び出しか、と毛布をかぶろうとした孝夫に彼女は受話器を渡してきた。 「谷中村のお祖母さんが亡くなったって」  美智子の目はすでに涙をためて赤かった。  電話はとなりの田辺さんのおばさんからだった。朝、庭に出てみるとお宅の井戸のところに人が倒れていたので行ってみるとおせいさんだった。首に手ぬぐいがかかっていたから、顔を洗いに起きてきてそのまま倒れちまったみたいだ。今、近所の人たちが来て座敷に運んで寝かせたが、もう呼吸も心臓も止まっている。村に医者はいないから町の医者を呼ぶかどうかみんなで相談してたら、孝ちゃんの奥さんが医者だからまず聞いてみたらということになってすぐ電話した。  田辺さんのおばさんの声は落ち着いていて、六川集落の家では早くも葬儀の準備を始めているらしい気配も伝わってきた。おばさんに礼を言って受話器を置くと、美智子は着替えを始めていた。 「私、病院に行って死亡診断書の用紙持って来る。それと、今日は都内のホテルでシンポジウムがあるんだけど、代わりの人に頼んでくるから二時間待ってて」  彼女は短く言い置いて駆け出して行った。  美智子の帰るのを待って車で谷中村に出かけた。高速道を三時間、国道を二時間、村道を三十分。昼をかなり回った頃に六川集落の家に着いた。  祖母は奥の部屋で薄い影を造って寝ており、顔には白い布がかぶせられていた。近所の人たちにあいさつしてから、美智子は祖母の手首と頸部の脈が触れないのをたしかめた。その様子を枕元に坐り込んで見つめていた孝夫は、祖母はただ長く眠っているのだとしか思えなくて、涙が出なかった。朝、顔を洗いに起きて寒気に触れ、心臓発作を起こしたのだろうという美智子の推定死亡診断は集まってくれた近所の人たちの同意を得た。祖母は八十一歳だった。これといった持病もなく、前日も畑に出ている姿を何人もの村人たちに目撃されていた。  通夜、葬儀は六川集落の古老の指示によって行なわれた。町の焼き場で焼かれた祖母の骨は孝夫が骨壺に入れて持ち、うしろを位牌を手にした美智子が続いた。その他、遠縁の者たちによる七、八人の葬列の先頭には古老が小銭を入れた竹籠を頭上に振りかざしながら進んでいた。  墓地のある日影地区の裏山まで、六川を渡って十五分ばかり歩くのだが、沿道には竹籠から撒かれる五円玉や十円玉を拾う老人たちの姿があった。前日まで健康で働いていてポックリ逝った祖母の死に方は老人たちの羨望の的だった。葬列の先頭で撒かれる銭を拾うと、その死者とおなじような死に方ができると言い伝えられているので、いつになく拾う者が多かったと、あとで古老から教えられた。  祖母の骨は六川集落の男衆が掘ってくれた草深い榧《かや》の下に埋められた。祖父や母の墓のとなりである。この墓地からは日向地区が六川の向こうに広く見渡せた。その名のとおり、南に向いて陽のよくあたる日向地区の質素な造りの家並みを、晩秋の午前の陽がやわらかく照らし出していた。このおだやかな風景の中に二度と祖母の姿を見ることはできないのだと気づいた孝夫は、急に両足の力が抜け、その場にうずくまってしまった。 「孝ちゃんはお祖母さん子だもんなあ」  周囲の同情の声に守られて、孝夫は泣きたいだけ泣いた。  涙のつきた目に映る六川集落の風景は、灰色のフィルターがかかったように薄暗く感じられた。 「お祖母ちゃんも含めて、ここは私のふる里なんだ」  六川集落に来るたびにそう口にしていた美智子にとっても、祖母の突然の死は、大いなる喪失感をもたらす出来事だった。 「私のふる里が半分なくなっちゃったな」