シャネルキャビアスキンバック
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null      二 「伊達君、社長がお呼びだよ」  渉外部長の宇野が、内線の受話器をおいて意味ありげに笑った。三時すぎの、物憂い時刻だった。  社長はインター・ホーンを好まなかった。一度、スイッチを切るのを忘れたままで専用秘書とたわむれているのが社内につつぬけになって以来、その装置を使ったことがない。 「何の御用でしょうか?」  邦彦は立ち上がった。 「行けばわかるさ。社長は気短かだよ」  宇野はそっけなく答えた。  邦彦はタバコを丹念に灰皿で|揉《も》み消し、渋い毛編みのネクタイを結び直した。ロッカーからグリーンがかった黒の背広を羽織る。  流れるような達筆の発注書をタイピスト嬢に手渡し、「頼むよ」と、清潔な微笑に|唇《くちびる》をほころばす。タイピストは眼鏡の奥で、うっとりと目で笑った。  邦彦は出口近くのデスクを占めた宇野に目礼し、長い足を軽々と運んで廊下に出る。  トイレに入り、指先に水をつけて、柔らかに波うつ前髪をかきあげる。  鏡に写る卵形の顔は、光線の具合でかすかにレモン色を帯びて輝いていた。憂いを含んだ瞳は深い湖のように澄み、ひきしまった頬に小さな|笑靨《えくぼ》を宿す唇は、精巧な|鑿《のみ》で丹念に彫りあげたかのようだ。濃いビロードのような男性的な|眉《まゆ》がはげしく迫って、苦味ばしったアクセントを与えている。  邦彦は鏡の中の自分の顔に片目をつぶり、上着をきちんと直した。|着《き》|痩《や》せするたちだ。十九貫五百の体重が五尺八寸の体にぴったりひきしまって見える。  社長室は五階の左側の一番奥まったところにあった。ドアをノックすると、社長の個人秘書の若月貴美子が事務的な声で応じた。  邦彦はドアを開き、後ろ手でしめた。