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2015-02-07 14:18    十四代 通販
 岩松は身の危険を感じた。硯《すずり》や筆は、使ったあと再び返しておけばそれでよい。としても、人目のある時に返すわけにはいかない。それもまたひと苦労だ。あれこれ考えると、墨を磨る手に力が入らない。 (とにかく、今夜のうちにこれを書かなければ……)  男たちのいびきが間断《かんだん》なく聞こえる。高いいびきが、はたと止まる。と、そのいびきは低く変わる。それらを耳に集めながら、岩松はそっと半紙を伸べた。腹這《はらば》いになったまま筆を持つ。淡い灯影が土間を照らしてはいるが、手もとが暗い。岩松は目をかっとひらいて、書きはじめた。 〈日本 天保《てんぽう》三|辰年《たつどし》十月十一日志州鳥羽浦港出ず尾州尾張国廻船《びしゆうおわりのくにまわりせん》宝順丸重右衛門船十四人乗り熱田宮宿岩松〉  息を詰めるようにして、岩松は一気にこう書いた。岩松たち水主《かこ》にとって、何月何日誰の船で、どこを出たかという事実の記録は、最も重要な記録であった。それは言わば、自分自身の手形とも言えた。書きながら、尾州尾張国という字が、岩松の胸を熱くした。 〈十四人中十一人死にて岩松久吉音吉の三人残る 嵐に遭《あ》いて一年二箇月漂流したればなり 今異国に捕らえられ難儀して居り何方様《いずかたさま》にてもこの文読み次第助けて下され 命危し 至急助けて下され〉  ここまで書いた時、がたんと大きな音がした。岩松はあわてて筆をとめた。誰かが何か言っている。男の声だ。岩松は耳を澄ました。が、声はそのあと聞こえない。どうやら寝言らしい。岩松は再び筆を固く握りしめて書いて行く。 〈必ず必ず日本に帰りたし 助けて下され 疾《と》く疾く助けて下され [#3字下げ]天保五年一月五日 岩松書く〉  書き上げた書状を岩松は読み返した。これをバンクーバー島から来る男に渡そうと岩松は思った。そうすれば、この書状は誰かの目にふれる。誰かはまた誰かに手渡してくれるにちがいない。この字が人に読めるかどうかは、岩松には問題ではなかった。自分のひたすらな願いが通じない筈《はず》はないと、岩松は確信に満ちて、危険を顧みずに書いたのだ。それは滑稽《こつけい》なことかも知れなかった。無駄《むだ》なことかも知れなかった。が、書かないよりはましだと岩松は判断したのだ。  岩松は、更にまた一枚半紙をひろげた。 〈日本 天保三年十月十一日志州鳥羽浦港出ず 尾州尾張国廻船宝順丸重右衛門船十四人乗り熱田宮宿岩松より  父様母様絹へ  岩松は疾《と》うに死にたりと諦《あきら》め暮らし居るや わしは異国に生きて居る 家を思わぬ日一日もなし 足一本手一本になりても必ず必ず帰る故《ゆえ》待ちて下され 必ず待ちて下され 異国は言葉も通ぜず恐ろしき所なり 熱田神宮に朝夕祈って下され 父様母様達者で居て下され  岩太郎 わしのこと覚えて居るか 胸|掻《か》きむしらるる思いなり〉  うす暗がりの中で、紙の音をさせぬように、一字一字書いて行くのだ。ひどく疲れる仕事であった。書き終わると、岩松は激しい疲れを覚えた。二通をそれぞれ半紙に包み、枕《まくら》もとに置いた。 (あとはこの硯《すずり》と墨をいつ返すかだ)  岩松は迷った。昼間は人目がある。再び竹馬騒ぎを起こすわけにもいかない。思い切って、今返すべきか。今ならば誰も彼もぐっすり寝こんでいる。だがそれは、余りに危険であった。酋長《しゆうちよう》とその妻が寝ている傍《かたわ》らに懸硯はある。その引き出しをあけるのは、余りに無謀なことであった。