ルイヴィトンウィルシャーブルーバード
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null この間、かれは仮御所を清水寺から本圀《ほんこく》寺《じ》に移していた。本圀寺は日蓮宗の京都における一本山である。  将軍宣下の翌日、義昭はその仮御所の本圀寺に信長をよび、うれしさのあまり、 「かように流寓《りゅうぐう》の身から征夷大将軍を相続できるようになったのは、すべてそのほうのおかげである。爾《じ》今《こん》、そのほうを父とよぶぞ」  といった。信長は義昭よりもわずか三つ上である。ほとんど同年配にちかい義昭から父とよばれることは、信長にすればどうも感覚的に奇妙な感じであった。 「これは恐れ入り奉る」  と、口ごもって迷惑そうにいった。信長にすれば義昭の有頂天なよろこびぶりについてゆけぬような気がする。  義昭は義昭で、自分のよろこびと感謝をどのように表現していいかわからなかった。考えたあげく、 「副将軍になってたもれ」  といった。  冗談ではなかった。信長にすれば、義昭のような素っ頓狂《とんきょう》な坊主あがりの小才子の家来になるために野戦攻城の苦労をかさねてきたわけではない。 (義昭は、かんちがいしている)  とおもわざるをえない。信長にすれば、天下の武家から尊崇されている義昭の「血」こそ尊重すべきであった。だからこそ苦心惨澹《さんたん》のあげくこの上洛を遂げ、義昭をしてその「血」にふさわしい征夷大将軍職につけたのである。  ——されば幕府をひらく。  となると、これは別であった。幕府という古めかしい、中世の化けもののような統治機構をいま再現し、自分がその番頭になるというのは、なんともなっとくできない。 (義昭の血は大いに尊重し、利用もしたい。だからこそ将軍職にもつけた。しかし幕府はひらかせない。ひらくとすればそれはおれ自身だろう)  信長はばくぜんとそう思っている。この人物を動かしているものは、単なる権力慾や領土慾ではなく、中世的な混沌《こんとん》を打《だ》通《つう》してあたらしい統一国家をつくろうとする革命家的な慾望であった。革命家といえば信長の場合ほど明確な革命家があらわれた例は、日本史上、稀《まれ》といっていい。かれは、政治上の変革だけでなく、経済、宗教上の変革までばくぜんと意識していたし、そのある部分は着々と実現した。  が、義昭はちがう。  義昭は、中世的な最大の権威である「室町幕府の復興」ということのみに情熱をかけ、そのことにしか関心をもたない。この三十二歳の貴人はすでに生きながらの過去の亡霊であったが、信長は未来のみを考えている、しかもその考えはたれにも窺《うかが》えない一個の革命児であった。